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◇第2話





 
マリアンヌは部屋の中でせわしなく針を動かしている。しかし器用なことに、その視線は手元にはなく、サイドテーブルの上の写真立てに注がれていた。写真の中に写っているのはまだもう少し若い――――幼いともいえるマリアンヌ。そして、金色のロングヘアと碧眼を持ち柔和に微笑む一人の女性。



 ミリー・グッドナイト。

 マリアンヌの人生を支えたといっても過言はない人物だ。





      *      *      *      





 話はマリアンヌがミネルヴァに搭乗するずっと前に遡る。当時まだ子供だったマリアンヌは、親元を離れ一人(かなり大きいがロダー家の基準では)小さな別邸に住んでいた。仕える使用人は少ない(それでも百人単位)が、そこそこに楽しく暮らしていた。

 そんなある日――――。







「新しい使用人?」

 ペットの子犬・ルーを撫で回しながらマリアンヌが鸚鵡(おうむ)返しで尋ねると、使用人頭の老婆・ソフィアは深く頷いた。この老婆は口数こそ少ないが真摯な態度で家元を離れたマリアンヌに仕えている。たいした目利きで、この屋敷の使用人は全て彼女が選び抜いた程だ。

 その彼女がわざわざ無能な使用人を増やす訳がない。ということは、彼女の眼鏡に適うほど有能な人物が来るということになる。

「分かった。男? 女?」

「若い娘でございます。お嬢様にお目通りを願っておりますが……お会いになりますか?」

 わざわざ、という疑問は飲み込んだ。会いたいというならば会ってやったところで問題はない。ないどころか自分のために働くと言ってくれるのだから会って当然だろう。

「どこにいる?」

 自分から出向く気満々の幼い主人の言葉に、しかしソフィアは平然とこちらですと促した。この少女がひと時もじっとしていないことなど誰より分かっているのだ。もちろんそれが上に立つ者として必ずしも良いと言う訳でもないということも、この老練の使用人は分かっていた。だが、この少女はこれでいいのだ、とも思っている。

 しかし、会いに来られた本人としては気が気でなかったらしい。ソフィアに面接された部屋で待たされていた少女は、突然現れたこの屋敷の主人に驚きのあまり声も出ない様子だ。マリアンヌはそれに明るく笑いかける。

「マリアンヌ・ロダーよ。これからよろしくね」

「ミ、ミリー・グッドナイトです。至らぬ所もあるかと存じますがどうぞよろしくお願いしますっ!!」

 慌てて頭を下げると長い金の髪がぴょんと踊った。少し焦りも見えるが、高くも低くもない声が耳に聞き心地よく届いたことに、マリアンヌは満足そうに頷く。

「うん、気に入ったわ。ミリーは今日からあたしの側に控えてね」

「えっ?!」

「主人からの命です」

 厳しくはないが有無を言わせない迫力のソフィアの言葉に、恐慌していたミリーは慌てて頭を下げる。やはりこの老婆は長年彼女に仕えているだけのことはある。主人の唐突さに驚く気配すら見せない。もっとも、そういう性格なだけなのかも知れないが、今日来たばかりのミリーにそれを計る手立てはない。

 ミリーの了承を得たと分かったマリアンヌは満面の笑みを浮かべてその手を取った。驚いた表情を浮かべるミリーが何ですかと尋ねるよりも早く、その体はマリアンヌに引っ張られて部屋の中から消えている。屋敷内を案内するつもりだとソフィアが小声で教えてやったことが彼女の耳に入ったかどうかは、定かではない。





      *      *      *


 ミリーがマリアンヌに仕えるようになってから早一ヶ月以上が経とうとしていたある日、その二人は揃って街に出かけた。手にはたくさんの紙袋。しかしそれは帰りではなく行きの話。帰りにはその手には何もなかった。ではいったい何しに行ったのか、それは数時間前に遡る。


 マリアンヌは驚いた顔をして自分の前に積まれた物を見ているミリーを面白そうに眺めていた。ややあって、ようやくミリーが口を開く。
「あの……マリアンヌお嬢様? これは――――?」
 指し示すのは足元に積まれた、大きな紙袋。中に無造作に詰め込まれている大量の布も何なのかミリーは聞きたがっているようだ。マリアンヌはそれに一つずつ答えていく。
「全部服よ。街の孤児施設の子達に配るの。狭い所とかもあるから歩きだけど――――大丈夫だよね?」
「体力には自信がありますけど――――どうしてロダー家のお嬢様がこんなことをなさるのですか?」
 戸惑い気味の質問に、マリアンヌはあっけらかんと答える。
「あたしの出来ることだからよ。あそこの子達はみ~んなあたしの友達だもの。友達のために出来ることをしてるだけ」
 生来駆けずり回るのが好きなマリアンヌには、同じ位にある子供達とは昔から気質が合わなかった。反対に、庶民の子供達とは気兼ねなく付き合うことが出来た。そのためか親元を離れこの地にやって来てからも、いわゆる名家とは関わりを持たず、こうして庶民とばかり交流を持っている。
 そんなマリアンヌに父親から注意が再三伝えられているが、マリアンヌは一切それを取り合わなかった。
 はっきり言い切ったマリアンヌにミリーは目を見開き、ややあって、微笑んだ。ここ一ヶ月何度も見て来たはずのその笑顔は、その時が初めて心の底からのものであったようにマリアンヌには感じられた。
 納得したミリーを伴って街に出かけたのはそのすぐ後。見た感じは非力なミリーがその実マリアンヌよりも力があることに驚かされたのもその時だった。


 そして現在、孤児院を全て回り終わり軽くなった両手を振りながら、二人は帰路についていた。傾いた日に照らされたマリアンヌの赤い髪は更に燃えるように輝いている。


 本日の成果や友人たちとの会話、やったことを振り返って、二人は楽しく会話しながら歩いていた。しばらくして大きな路地に差し掛かると、馬車の馬蹄が聞こえてくる。それが過ぎるのを待つために立ち止まると、つられて会話も一度が止まった。その隙に、ミリーは素早く口を開く。
「お聞きしてもよろしいですか?」
 この一ヶ月で何とかマリアンヌの性格を分かってきたミリーの声はもう以前のように揺れたりはしない。その声にマリアンヌは彼女を見ないまま返事をし、馬車が過ぎ去った道をさっさと横切っていく。ミリーはその後に続いた。
「どうして、ご両親の元から離れてお一人であの広いお屋敷へお入りになられたのです? 寂しくは、ないのですか?」
「もう慣れたよ」
「何故『平気じゃなかったこと』をやろうとなさったんですか?」
 矢継ぎ早の質問に、マリアンヌは苦笑する。正直ミリーのことは、芯は強いがはっきりと物事を行うタイプではない、と見ていた。
 だがそれは考え直さなければならないようだ。彼女は存外、言いにくいことでも真正面から訊いて来る人物らしい。こんな質問ほかの使用人なら恐ろしくて口にしようともしないだろう。
 最初は見目麗しさで気に入ったミリーを内面から好きになったのはこの時であった。
「教えてあげてもいいけどミリーのことも教えてね。ご家族のこととか、あたしの所に来るまでどんなことがあったとか」
「……私の過去なんてきっとつまらないですよ?」
「面白いとかそんなのいいの。あたしはミリーのこと聞きたいんだから」
 そう言って笑ったマリアンヌに、ミリーもくすっと笑った。それから、宵闇に包まれ始めた空の切れ端を遠い目で眺める。そのときの横顔に、マリアンヌは一抹の悲しさを覚えたが、それが何なのかを知ることは出来なかったし、それを確かと感じることもまた出来なかった。
「私はここからは遠い田舎で生まれました。村人たちはみんな優しくて、とても温かい村です。でもその土地の領主が有る者有る物奪っていくから、そこは村ぐるみで貧乏なんです。それで、私の村では若い人たちは皆働きに出て、お金を送っています。私達はあの村が大好きだから、たとえどんなに苦しくても頑張り続けるしかないんです。たとえ、どんな仕事をしても――――」
 鮮やかな双眸が細まり、小さな唇がきゅっと引き締められる。刹那、その横顔が険しいものと変わったのをマリアンヌは見逃さなかった。何かある、もしくは何かあったと容易に察せたが、敢えて言及せず、あらあらととぼけた声を出す。
「そんなこと聞かされたらお給料上げなくちゃならないわねー」
「えっ、あっ、もっ、申し訳ありませんマリアンヌお嬢様!! 私そんなつもりで言ったんじゃ――――っ!!」
 久しぶりに慌てた様子で頭を下げてくるミリーに、マリアンヌはけらけらと笑い声を立てる。
「いいわよぉ、あたしが言えって言ったんだもの。あ、でもお給料に関しては考えとくわね。大丈夫よ、他にも似たような人たくさんいるから」
 それがかなりいい意味での『考えておく』であることを悟り、ミリーは恐縮して深々と頭を下げた。マリアンヌはそれにまだ笑っている。
「じゃああたしの番ね。でもあたしの理由はもっと簡単だよ? だって親とかお姉さまと一緒にいたくなかっただけだもん」
 あっけらかんと告げたマリアンヌに、ミリーは眉を寄せて首を傾げる。
 どういうことですか、唇がそう尋ねようとしたのに先んじて。
「だってお父様もお母様もひどいのよ。いつもいつもお姉さまと比べてばっか。お姉さまが出来過ぎてるだけなのにあたしのこと駄目な子駄目な子、って……流石のあたしも傷付くわよ」
 まくし立てると、ふん、と拗ねた様にそっぽを向いてしまった。
「……マリアンヌお嬢様は、その事について何も仰らなかったんですか?」
「言ってない。……って言うより、実家に居た時にお父様達に向かって言いたいこと言った記憶もないなぁ……」
 薄ぼんやりとした空に向かって吐き出した言葉に答える声はなかった。
薄暗くなった道の向こうから、迎えに出て来たソフィアが照らす煌々としたライトの光にきっかけが奪われてしまったから。






◇第3話





  自室の柔らかい椅子に座りながら、マリアンヌは裁縫を勤しんでいた。『貴族の子女のやることではない』とよく父や母に怒られていたが、怒られる度に、意固地になって続けてきた。その反抗心のおかげで今では服の一着や二着余裕で作れるようになった。

 戸を叩く音がする。

 誰かと聞かずともその主を知っているマリアンヌは手元から顔を上げずに軽く答えて迎える。

「……お裁縫、ですか?」

 驚いた声を出したのは予想に反さずお茶を運んできたミリーだ。マリアンヌはまあねとなんてことのない様子で頷く。

「ミリーも何てことやってるんだって言う?」

 今のところ彼女の趣味を理解してくれているのはソフィアだけだ。他は両親と同じ事を言うか、または自分の仕事がなくなると嘆く仕事熱心な者だけだ。マリアンヌはそれ以外の人種は知らないし、ソフィアが変わってるのだと理解もしていた。しかし。

「良い事です。人がやって当然なことなんて何もないですからね、そういうことを分かっていらっしゃるなんて流石はマリアンヌお嬢様です」

 カップに紅茶を注ぎながら、ミリーは嬉しそうに答える。むしろ、それが当然であるかのような口ぶりだ。

「そもそも貴族の方々は御自分で何もしなさ過ぎです。下の者がやるはずだと思い込んで……もしかして、先日のお洋服は全部お嬢様が?」

 気づいた様にミリーが顔を上げる。歯に絹を着せない彼女の言葉に呆気に取られていたマリアンヌはそのままで頷く。だがすぐに、あははと乾いた笑いを立てた。

「そっ、かぁ、ミリーは貴族が嫌いなんだね。あは、あたしも実は嫌われちゃってたりして?」

 軽口で言ったものの内心は震えている。この口調ではいと答えられるのは何よりも怖かった。しかし。

「いいえ全く」

 返答は、いともあっさりとしたものだった。だが、硬化しかけていたマリアンヌの心を和らげるには十分でもあった。

「私はマリアンヌお嬢様のこと大好きですよ。だって全然貴族であること鼻にかけないじゃないですか。私が最初にこのお屋敷に来た時もそうです。普通なら私がお会いに行くものをわざわざご自分でいらっしゃるんですもの。それに、ご自分のことはご自分でやろうとなさいますし、それなのに私共の仕事がなくならないようにしっかり配慮なさってくださってるし、庶民の子供たちとも普通に接してくださいますし、ご自分からお裁縫までなさるし、それに――――」

「ちょっ、ちょっと待ったミリー! ストップストップ。もう分かったから!!」

 そういったマリアンヌの口元は緩んでしまりがなかった。明らかに喜んでいる。が、これ以上は流石に恥ずかしいのだろう。……それにしても。

(……嬉しいー~~!)

 人に褒められるという行為を、マリアンヌは記憶にある限りされたことがなかった。

 マリアンヌには、アンナという才色兼備の姉がいる。アンナはとにかく優秀で、貴族社会の中でも並ぶ者がいないほどの気品に満ちている。そんな出来た子に注がれる両親の愛情も期待も、生半可のものではない。そのため、そのしわ寄せは確かにマリアンヌに来た。

 マリアンヌは決して駄目な子ではない。だが、姉と比肩し得る才もまた、持ち合わせてはいなかったのだ。



そのため、こう言ってもらう事も、なかった。



マリアンヌは隣に来たミリーの袖をぎゅっと掴み、その顔を上目遣いに見上げる。

「ミリーはさ、ミリーは、あたしのこと好き?」

 先に言われた言葉。もう一度聴きたいと思ったのは子供のわがままだ。だがマリアンヌは今までそう言ってもらったことが一度たりとも無い。両親は決してそう口にすることはなかったし、町の子供達もわざわざ言ってくることはなかった。代わりに行動で示すから。ソフィアも同じだ。彼女も一見冷めているように見える行動に愛情が感じられる。だがマリアンヌは言葉として聞きたかったのだ。

 その心を解してくれたのか、ミリーは微笑んだ。

 ふわりとスカートを揺らせてマリアンヌの前に膝をついて座り、金の髪を踊らせ、蒼い双眸を細め、愛らしく微笑んだ。

「私は、元気で明るくて優しいマリアンヌお嬢様が大好きですよ。ご両親にも町の子供達にもソフィア様にも負けないぐらい、大好きです」

 微笑んだミリーの表情は温かかった。マリアンヌもそれにつられ、また満足したように、微笑み返す。

 その時、部屋の外から使用人の誰かが声をかけてきた。ミリーを呼んでいる。どうやら郵便物の話らしい。

 一礼して立ち上がったミリーの背を目で追って、マリアンヌは繕い物の最後の糸を通す。完成したのはピンクのキャミソール。薄い生地で出来ている下着用だ。裂け目などがないのを確認し、机の上に置く。そして、用意された紅茶に口をつける。

 すると、まるで狙い済ませたように風が吹き抜けた。ミリーが扉を開けて風が通り抜けたのだ。

 影響を受けたのはマリアンヌではなく、今完成したばかりのキャミソール。軽い生地が裏目に出て、開いていた窓から外へと流れて行ってしまった。

 慌てて窓辺に寄ったマリアンヌは、すぐにそれを見つけることに成功した。窓のすぐ手前の木の枝に引っかかっている。

 これならすぐに取れる。安堵し、窓枠に足をかけた。だがそれは予想よりも遠い所にあり、腕だけ伸ばしてもまだ届かない。困ったと感じるが、諦めずに今度は体ごと伸ばしてみる。そうすると、指先に布が掠った。

(もうちょっと……)

更に体を伸ばす。だが、それがまずかった。

「キャッ……!!」

 不安定な姿勢のためにバランスは崩れ易かった。

 確かに布を掴んだ瞬間、マリアンヌの体は傾いていた。ここは二階である。この上にさらに続く三階四階よりはずっとましとはいえ、高いことには変わりない。遠くに見える地面にマリアンヌはぞっと鳥肌を立てる。

 聞こえたのは使用人の悲鳴。

 近付いて来るのは地面との対面の時。

 マリアンヌは、恐怖に勝てずに我知らず目を強くつぶり悲鳴を上げていた。

 だが。

 真っ暗になった世界の中、マリアンヌを包み込んだぬくもりがあった。

 そしてそのまま、途中何かにぶつかりながらも目を開けようとする暇もなく地面へと激突する。痛みはあったが予想より余程少ない。何故と恐る恐る目を開けたマリアンヌの目に飛び込んできたのは、厳しく歪められた碧眼と、乱れた金の髪。その名を呼ぶことに一瞬迷ったマリアンヌに、彼女は痛みを堪えた様子で微笑んだ。

「大丈夫ですか? マリアンヌお嬢様?」

 天使がいるとしたらきっとこんな人なんだろう。

 自分の方がよほど痛い思いをしただろうに、それでもなお笑いかけてくる女性に向けて、呆然としながらマリアンヌはただそう思った。ややあって、首を思い切り振って乱暴に正体を取り戻す。

「あたしは大丈夫よっ、ミリーが庇ってくれたもの。ミリーは? ミリーは大丈夫なの?!」

 下敷きにしてしまっていたミリーの肩口を掴みぐいっと上半身を起こす。ぽかんと口を開けてミリーはマリアンヌを見つめたが、少しもしないうちに笑い出した。本気で楽しそうな笑い声に今度はマリアンヌがぽかんとして口を開けっ放しにする。

「凄いマリアンヌお嬢様。力持ちなんですねぇ」

 貴族のお嬢様らしくない、と笑い声の合間から言葉がこぼれた。

 平気そうだと判断すると、マリアンヌも安心したように笑う。判断と行動の速さに感嘆したと素直に述べれば、ミリーは胸を張り、少しおどけた様子で。

「田舎の子供は決断力と度胸がいいんです。それに、身軽なんですよ」

 軽口の自慢に、二人で吹き出す。その瞬間、冷水がぶちまけられた。

「何がおかしいのです」

 怒らず慌てず抑揚のない声は、いつの間にかそこに立っていたソフィアのものだった。主人に対しては心臓も鍛えられたミリーだが、この老婆に逆らう気にはなれないらしい。横で見ていて面白いくらいに青くなった。もっとも、マリアンヌも人のことが言えないほど青くなっているが。

 怒鳴られるよりも彼女の沈黙のお説教には恐怖があるのだ。

 だが、ソフィアはちらりとマリアンヌとミリーを見ると、すぐに踵を返してしまった。驚く二人を他所に、ソフィアは揺らがずに真っ直ぐ立っている。ミリーがマリアンヌに肘でつつかれ、おどおどと声をかけようとした。すると。

「ミリー」

 後ろ向きに呼ばれてミリーが引きつった返事をする。

「医学の心得があると言ってましたね? お嬢様のお怪我を手当てして差し上げなさい。それからお嬢様」

 また引きつった声で返答したミリーとほぼ同時に、マリアンヌも同様の声で何かと尋ねた。

「後でお話を聞かせていただきますので、お部屋にいらっしゃってくださいませ」

 言い残し、ソフィアは年を感じさせないほどきびきびとした歩き方で屋敷の中に引き上げていく。その背が見えなくなったところで、少女二人は大きく息を吐いた。

「……ソフィアって――――」

 ぼそりとマリアンヌが呟くと、ミリーはそちらを向いてコクリと小さく頷いた。

「照れ屋よねぇ……」

「照れ屋ですよねぇ……」

 重なった台詞。

 二人の少女はしっかりと見ていたのだ。老婆の息が多少上がっていたのを。

 幼い主人の悲鳴に屋敷の中から飛んで来たのだ。

 そう思ったからこそ、二人は慌てた。マリアンヌは要らぬ心配をかけてしまったと。ミリーは老婆の大切な少女を危険に晒してしまったと。それぞれ自己嫌悪と来るだろう無言の叱責に恐怖した。だから、彼女が踵を翻したとき何かと驚いたものだ。

 これは単なる憶測だが、彼女は安心したのではないだろうか。どんなことが起こったのかと気が気でない中、笑い合う少女たちの姿を見て、自分でも驚くほど安心したのではないだろうか。であればあの時彼女は――――。

「笑ってたかな? 泣いてたかな?」

 好奇心に満ちた表情でマリアンヌが語りかけるとミリーは不謹慎なとたしなめる。だが、そういう彼女の顔も笑いが収められないことに難儀しているように見えた。



しばらくソフィアの表情について会話していた二人だが、先ほど落ちた部屋の窓から使用人が声をかけてきたのを機に、屋敷の中へと引き上げた。


















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