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◇第4話





 
「はい、終わりましたよ」
 ポン、と白い包帯に巻かれた腕を叩かれる。全く痛くないのはちょっと切れただけなのに大げさな処置をされただけだから。それに対しての文句は、念には念をです、と軽く流されて終わってしまった。
「ミリー凄いね。手当て上手―」
 隣に座る女性に向かって感嘆して呟く。
「田舎ではむしろ怪我をするのが常識でしたから……お嬢様はお出来になりませんの?」
 自慢ではなく純粋な質問。マリアンヌが素直に頷くと、ミリーは使った物を片付けながら。
「では覚えてください。覚えて邪魔になることはありませんから」
 こともなげに言ってのける。マリアンヌはしばし沈黙し、にっと笑った。
「じゃあやってみる」
 言うや否や大きな正方形の絆創膏をミリーの右手にぺたりと張る。張られてから、ようやく自分も怪我をしていたことに気付いた様であった。
「そうだっ、早く治るおまじないもしてあげるね?」
 その彼女の手を取って、マリアンヌはどこからか取り出したペンで絆創膏に何か描いていく。ペン先が離れて姿を現せたのは、可愛らしくデフォルメされた彼女自身の似顔絵。
それに、ミリーはぽやっと見入る。ふわりと赤くなった頬から喜んでいるのが伝わってきて、マリアンヌも嬉しそうに笑った。しかしややあって、純粋な笑顔が悪戯な光を帯びる。
「と・こ・ろ・で」
 ニヤーッと笑うマリアンヌにミリーは少し後退りながら微笑む。顔の横では冷や汗がタラリ……。
「ミリーってば他は完璧だけど実は胸ちっちゃいよねぇ~?」
 からかうような視線に、ミリーは赤くなって両腕で体を匿う。
「放っといてくださいっ! ……もう、マリアンヌお嬢様だって人のこと言えないじゃないですか」
「おほほほほ~♫ あたくしはまだ成長途中ですもの。心配には及びませんことでしてよ~」
 おかしなお嬢様言葉で高らかに笑う女主人に、ミリーはムーッと膨れて拗ねた顔をする。
 しかし、すぐに愛らしい笑顔となり、グイとマリアンヌに近付いた。
「お嬢様、成長と肥満は違いましてよ?」
「うっ!」
 痛い所を突かれて高笑いが止まる。
「少しお太りになられましたよね?」
「ううっ!」
 今度はマリアンヌが後ずさる。
「毎晩毎晩お台所に忍び込んでつまみ食いなさっているの、ミリーはしっかり知っていますからね」
「な、なんでばれてるのっ?!」
 引きつった声を立ててもミリーは可憐な笑い声を立てるだけ。
「今夜からお部屋を出ることは禁止します」
「えぇー!」
「我慢なさってください。これもお嬢様のためですから」
 機嫌よさ気に言われては単にやり返されているだけという感が否めない。まだ唸っていると、ピシッと指先を突きつけられる。
「今夜から遅くに部屋の外でお姿を拝見したらソフィア様に言いつけちゃいますからね」


 最高の脅し文句だ。


 ソフィアの名を出されてはマリアンヌに屈する以外の手はない。
 諦めて、がくりとうなだれた。それを見届けて、ミリーはお茶を入れなおしてきますと部屋を立ち去った。それと入れ替わりに、使用人の女性が足音を立てないように入ってきた。後ろをちらちら気にしながらやってきた使用人の表情は嬉々としている。
 記憶違いでなければ、彼女は先ほどミリーに郵便を持ってきた人のはずだ。彼女のわくわくとした顔を見て、マリアンヌは準備OKと言わんばかりに手を傍らに付けて耳を向ける。使用人はこそっと尋ねた。
「マリアンヌ様、ミリーさんの恋人ってどんな方かご存知ですか?」
 マリアンヌは尋ねられた内容に目を見開いた。
「ミリーって恋人いるの?!」
 今まで聞いたこともなかった。驚きと寂しさが同時に襲ってきたのは言うまでもない。
「はい、ぜぇったいいますよ! だって今回で同じ人からから五通目ですよ? それに、さっきミリーさんがマリアンヌ様を助けるために飛び出したときに手紙に放り出したんですよ。で、見えたんですけどね、『求めしもの、今宵こそ逢瀬果たさん』、って。かっこいいですよねぇ」
 ほぅ、と息を吐いてから、慌てて、もちろんマリアンヌが無事なのを確かめてからだと付け足した。
 マリアンヌはふむと指を顎に当てる。
「ミリーめ、さては恋人と会うために私を部屋に押し込めたなぁ」
 もとの原因が自分にあることはすっかり忘れて言い切る。その神経と心臓には感嘆してしまう。
(よっし、絶対顔見てやろーっと)
 マリアンヌが決意するのと使用人が仕事に戻るのとミリーがお茶を持って戻ってくるのは同時であった。






◇第5話





  夜。

 ミリーの見回りをかわしてからしばらくが経つ。マリアンヌは部屋を抜け出しその姿を捜し歩いていた。だが、外と面した所でも、ミリーの部屋でもそれを見出すことは適わなかった。気になったのは、使用人用の制服だけがたたまれてポツンとベッドの上に置かれていたことだ。

 だがそれもすぐに振り払われることとなる。恋人と会うのに色気のない使用人の服などないだろう。そう思ったから。





      *       *      *      





 今度はお屋敷の奥へ向かってみた。途中鳴った時計の音のおかげで午前二時というとんでもなく遅い時間になっているのが分かった。だが少女の好奇心は睡魔を返り討ちにしなおも足取り軽やかに暗い通路を進んで行く。

 その時。



        カタッ



「ん?」

 小さな物音がした。

 何と思うより早く、頭に浮かんだのは金の髪の乙女の姿。マリアンヌはにっと笑って音の聞こえてきた方向へと早足に近づく。しかし、部屋に近付いて気付けば、そこは金庫のある部屋。

(変な所選ぶわねぇ……)

 確かにめったに誰も近付かない。来て、せいぜい財産管理をしているソフィアくらいだ。

 だがこんなところにいては下手をすると誤解されてしまう。こんな夜中だが、未来のもしもは予測不可能なのだから。

 マリアンヌは邪魔を覚悟で忠告してやることにした。

「ミリー? こんな所じゃ見つかると――――」

 言葉が途切れたのは、大きな窓から差し込んだ満月の光を受けていた人物がはっとして振り返ったから。一つにまとめられた金の長髪がそれと共に踊る。反射した月の光と表情と共に強張っていく蒼い双眸に時を忘れたのは一瞬。

 再び『ミリー』と呼べなかったのは、姿が彼女であるに関わらずその立ち居振る舞いから伝わる雰囲気がまるで違ったから。

 ミリーがたおやかな花の様であるならば、目の前にいる人物は立草の様に凛としている。受ける印象は、男性のものだ――――。

 だがマリアンヌは迷っていた。目の前の人物にミリーがちらちらと重なるからだ。対峙する人物も、なぜかマリアンヌに戸惑っているようだ。危害を加えようとも逃げようともしない。それどころか顔を隠そうとすらしない。驚きが強過ぎて体が固まってしまっているような感じだ。

 奇妙な沈黙が続く。

 その間、マリアンヌはずっと目の前の人物を観察していた。足元まで一通り見終わってから、疑問と迷いを振り払う。そして、『彼』の驚きの目線を受けながらも、『彼』に近付いて行った。

「――――ッ止まれ」

 やや低い声。言われた通りにマリアンヌは止まる。だが、脅されたからではない。ある事を確認するために来る必要があった距離まで来たからだ。

 そして、目的を確認し、確信した。マリアンヌは、ゆっくりと口を開く。



「男の人の格好なんてしてどうしたの? ミリー」



 疑わない声に、しかし『彼』は首を振る。だがそれに同様に首を振り返す。

「違わないわ。もし違うなら手にそんなものあるわけないもの」

 いつもの調子で言われ、『彼』はしまったという風に右手を握った。マリアンヌはふっと笑う。

「どじねミリー。私が張った絆創膏、張りっぱなしじゃない」

 指差したのは、ほっそりとした手。その甲に張ってあるのは、大きな絆創膏。描かれているのはマリアンヌの似顔絵。昼間『ミリー・グッドナイト』に施したそれが、別人だという『彼』の手にあるはずがなし。しかも、こんな綺麗なままで。

 マリアンヌがじっと疑いなく見つめると、『彼』はふっと頬を緩めた。眉が寄せられ、今にも泣き出しそうな表情をしている。

「……だから、今夜は出歩かないでくださいって申し上げたんです」

 やはり少し低い声で、しかし『彼』は『ミリー』として言葉を紡ぐ。

「はがし忘れたんじゃないです。――――はがせなかったんですよ」

 右手を少し上げ、甲を優しい双眸で見つめる『ミリー』。マリアンヌはその顔をじっと見つめ続ける。

「男の格好をして、っておっしゃっていましたけど、でも、こちらが本当ですから。女の方がどこの貴族も油断するから……ああ、私なんで手袋忘れたんでしょうね? こんなこと初めてですよ」

 自嘲気味に笑い、一つにまとめて後ろに垂らしていた髪をつかみもう片方の手で胸の辺りに触れる。タイトな服を着ているのに、そこにあるべき突起はない。少なくともあの服なら判断出来るほどあるのは今日確認した。

 『彼』が男性であると再認識すると同時に、泥棒の常習犯であることが察せられる。

「以前お話しましたよね、私の村のこと。お金を送ってるのは本当ですが、一番の目的はあの土地を買い取ることです」

 こんっ、と拳で金属の戸を叩く。すでに防犯システムは切られているらしい。鳴るはずのけたたましい警報は鳴らない。手際の良さは……慣れ、だろう。

「そのためなら――――これも、悪いことだなんて思いません。だって貴族なんて私腹を肥やすだけの嫌な連中ばっかりじゃないですか。良心も痛みませんし、見限るのなんて簡単でした」

 反論が出来ないほどに、それは憎しみがこもった言葉。

 きっと『彼女』が語らなかった過去には想像出来ないほどの苦しみがあったのだろう。優しい声を憎しみで凝り固められるほどの何かが。

(……私には、何も、言えない……)

 祖父の代からの成り上がりとはいえ貴族の一人であるマリアンヌに、彼に反論は出来なかった。

「なのに」

 不意に『ミリー』の声が曇る。意識ははっきりしていたが焦点が定かではなかったマリアンヌはそのとき再びしっかりと『ミリー』の姿を捉えた。顔は金庫に向けられているが、目の端に確かに浮かんでいる雫を見逃すほどマリアンヌの目は悪くない。

 『ミリー』は震える声で続ける。

「ここに来るんじゃなかった。こんな暖かい場所、こんな暖かい人達の所、こんな―――」

 ゆっくりと、視線が交わる。

 『ミリー』は、涙をぽろぽろと零しながら微笑んだ。

「こんな、お優しくて、破天荒なお嬢様がいらっしゃる所なんて、来るんじゃなかった……ッ!!」

 流れていく涙の粒。

 流れていく涙の粒。

 マリアンヌは、ただ見つめるだけ。双眸が満月の光を受けて輝く。

「こんな楽しい時間、欲しくなかった。マ、マリアンヌお嬢様のせいですからね……!? 本当はある程度過ごしたらとっとと財産奪って逃げるつもりだったのに、もっといたい、もっといたい、もっと一緒にいたい、って思わせるから。だから、仲間の手紙を四回も無視して、『逢瀬』を果たすのも流しちゃったんですから!」

 四回……では例の『恋人からの手紙』というのは全て泥棒の、いや、村の仲間からだったということになる。とすると『逢瀬』というのは盗み出す合図とでも言うのだろうか。

 そうするともうずいぶん前から計画は実行可能であったはずだ。それが今日まで延びたの、『ミリー』の躊躇(ためら)いゆえ。

 ああ他は何を話しましょうか、顔をわずかに上に向け、『ミリー』は笑いながら投げ出すように言った。あきらめたような態度。もう終わりだと、覚悟しているのだろ。

「ミリー」

 久方ぶりと表現してもなんら遜色のないほどの間を空けて、マリアンヌが口を開く。『ミリー』はびくりと体を強張らせるが、すぐに力なく微笑んで返事をした。

 曇った白い花に、マリアンヌは近付く。一、二歩の間を空けて佇む彼女に『ミリー』は困惑したようだ。その『ミリー』に向かって、マリアンヌは堂々と口を開く。



「名乗りなさい」



 きっぱりと言い切った姿が

 凛と背筋を伸ばした姿が

 差し込む月明かりの下でキッと顔を上げた姿が

 ――――かつてないほど、気高く咲き誇った。



 長く側にあった『ミリー』だが、その姿には芯から気圧される。

 ややあって、『彼』は再び微笑んだ。

「ミリアルド。ミリアルド・ミッドナイトです」

 だから『ミリー・グッドナイト』、か。なかなか安直ではあるが、それ故に逆に偽名の役は果たせるわけだ。

 金庫を片手で開けながらマリアンヌは納得したように数度頷く。一方の『ミリー』……ミリアルドは、驚いた顔をしていた。

 その彼に、マリアンヌは金庫から取り出した大きな袋を三つ、無造作に投げ渡す。咄嗟に受け取って、その感触と重さに閉口するミリアルドに、マリアンヌはあげると軽く言った。慌てるのはもちろん貰った側だ。

「こ、こんなにいただけませんっ!」

 震える手の中の袋の中には彼が一生手にすることなどないほどの大金が入っている。いくら、と断定することは出来ないが、少なくとも普通の人が生きていくには十分すぎることは間違いない。

 お返しします、言いかけたその時、太陽が笑った。

「お馬鹿なこと言うんじゃないわよ。『こんなに』? 『これっぽっち』の間違いでしょ?それとも」

 ぽかんとするミリアルドに、マリアンヌは試すような笑いを浮かべる。

「この(・・)マリアンヌ・ロダー様の命がこれっぽっちの金額にも及ばないなんて思っちゃってるのかしら? ミ・リ・ィ・は」

「めめ、滅相もございません! 足りないくらいです、ハイ!! ……あ」

 脅しかけるような言葉に、すでに習慣のように首と手を振ってから、ミリアルドは自分の行動と浮かび上がっている気分に間の抜けた声を出す。

 マリアンヌはしたり顔で笑っている。そこでようやく彼は気づいた。彼女は、自分を見逃すつもりだ、と。

「マ、マリ――――!」

「ミリー・グッドナイトは」

 金庫が閉められる。ガチャっという音が響いた。

「二階から落ちたマリアンヌ・ロダーを身を挺して救ったために負傷。その治療費と恩賞を貰い村へと帰った。そうよね?」

 顔を向けてきたマリアンヌの目には異論は許さないと強く浮かんでいる。もとより完全にミリアルドに有利な申し出。断ろうとしたのは単なる戸惑い。だがこれ以上断る気はなかった。必要以上の拒否を、この少女が嫌うのを知っていたからだ。

「――――はい。確かです」

 袋を抱きしめ、ミリアルドは聞き慣れた『ミリー』の声で頭を下げる。マリアンヌは小さくうんと呟くと、早く去るようにと手で指示した。ミリアルドも小声で応じ、部屋の出入り口に足向ける。が、すぐに振り返った。

「大好きですよ、マリアンヌお嬢様」

 『ミリー』が、笑う。

「私は、元気で明るいマリアンヌお嬢様が大好きです。でも、自分の言いたい事が素直に言えて、自分に制限をつけないようになればもっと好きになります」



『思いを飲み込まなくてもいいんですよ』



 笑顔から伝わる思い。『ミリー』は繰り返す。

「大好きですよ、マリアンヌお嬢様。本当に、本当に――――っ」

 金の髪をなびかせ、潤んだ蒼い双眸を細め、愛らしく微笑んだ『ミリー』に、マリアンヌも微笑みで返す。



『私も大好きだよ』



 それを機に、目を深く瞑る。



 次に目を開けた時、ミリアルドの姿はなかった。

 暗闇に、その名を呼ぶ少女の声が解けて消える。その頬を伝っていく幾粒もの涙を知っているのは、夜空に浮かぶまるい満月だけだった。





 翌日ミリー・グッドナイトは一枚の書置きを残して姿を消した。それと同時に金庫から大量の金がなくなっている事に気づいているはずのソフィアは、マリアンヌの顔をじっと見ただけで何も言わなかった。



 それからマリアンヌが看護学校に入学するのはこれより一年の後。

 それまでの間に、『ミリー・グッドナイト』、『ミリアルド・ミッドナイト』の姿と名が、マリアンヌの目や耳に入ることはなかった。


















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