◇前編3
ミリアルドと別れたロドリグは当てもなく町を彷徨った。先ほどまで気付かなかったが、なるほど確かに、世間はクリスマスで埋め尽くされている。
「マリアンヌにプレゼント……何を上げたら喜びますかね」
服――――は自分で作れるからあまり喜ばないだろう。ならば布? だがわざわざクリスマスにプレゼントする品でもない。菓子でも送ろうか。好みは熟知している。
「うん、そうしましょう」
そうと決まればすぐに彼女好みの菓子を買いに行こう。行きつけの菓子屋に向かおうと踵を返したロドリグの足は、しかしすぐに止められた。視界に入ったそれ のために。
「お嬢様、いつまでそういてらっしゃるおつもりですか?」
屋敷に戻ったミリーは真っ先に主の元へ帰りお茶の準備をした。不機嫌な彼女を慰めるのが、ミリーにとっての目下最優先事項である。
ハーブティーを差し出すと、ベッドの上で丸くなっていたマリアンヌはムクリと体を起こしてそれを受け取った。そして音を立ててそれをすする。あまりに行儀のよくない行動だが、そうしたい気持ちも分かったのでミリーはそれについては何も言わずにベッドの脇にしゃがみ込んだ。
「面白いぐらい反省してましたよ、ロドリグ君」
ひとまずは彼と会ったミリアルドとして言葉を紡ぐ。彼としてロドリグに会いに行くことは出かける前にマリアンヌに報告済みなのでこれはその結果報告だ。
「……あっそ」
唇を尖らせ興味ない風を装っているがもじもじと絡む両手の指先が先を促していた。心得ているミリアルドはあくまで「勝手に話している」体を取ってしゃべり続ける。
「急患が続いてその対応に追われて寝たのが今朝方らしいですよ。それで仮眠のつもりが周りの好意によって熟睡してしまって、あんな時間になったとか」
彼が来た時のことを思い出したのかそれとも彼を待つ時間を思い出したのか、一度サイドテーブルに置いてカップを取り直した手に力がこもった。ピシリとカップにひびが入る。
あのカップは廃棄だな、よし、もらおう。などと頭の隅で考えながら主が手を怪我しないようにそっとカップを取り上げ別のカップにお茶を注いで差し出した。
「お嬢様との約束を守れないなんて万死に値する行為ですが、己の務めをしっかりこなしたと言う点に関しては立派だと思います。仕事を放棄して遊び呆けるなんてそれこそ責められて然るべきです。お嬢様はそう思われません?」
問いかけるとマリアンヌは顔を背ける。ミリアルドはそれを追いかけるようにベッドの上に腰かけ彼女の顔を覗き込んだ。目が合うと、彼女は複雑そうな表情をしていた。ミリアルドは優しく微笑みかける。
「お嬢様。お嬢様が尊敬してやまないロドリグ・エリオットとはどんな人物ですか? 個人の約束を故意に破る人ですか?」
問えば小さく横に振られる首。
「では目の前で苦しんでいる人がいても、『用事があるから』と放置する人ですか?」
更に問う。また首を横に、先より少し強く振る。
「では疲れて寝ていると、周りが『早く起きて出て行け』と叩き出したくなるような人ですか?」
また問うと、先より強く首を振った。
「では彼は、マリアンヌお嬢様を大切には思ってくださいませんか?」
問いを重ねると、これまで以上に強く首を振る。わずかに目の端に浮かぶ涙を取り出したハンカチで拭うと、ミリアルドは笑みを深めた。この正直さがミリアルドの好きなお嬢様の一番の魅力だ。
「あの手の男性は中途半端が出来ないものなんです。ここはレディの方が大人になりませんと。……もちろん、度が過ぎれば相応の報いは当然ですが、今日は――――許してあげませんか? 悪気はありませんし」
ミリーの笑みを浮かべる専属メイドの提案にマリアンヌは長い間黙りこくり、しばらくしてから小さく頷く。口でどんなに言っても最後まで憎んでいられないこの優しさが、ミリーが一番好きな彼女の長所。
嬉しそうな笑顔を浮かべるとミリーはすばやく立ち上がりクローゼットに向かった。
「さぁさ。では早速今夜の服を決めましょうか」
どんなのがいいですかねー、と鼻歌交じりに衣装を探るミリーに珍しくついていけていないマリアンヌがその名を呼びかける。ミリーはオレンジ色のドレスを手にしながら振り返った。
「ロドリグさんがディナーに誘っておいででしたよ。せっかくですからお好きなものたっぷりご馳走していただいてきてくださいな。あ、ドレスこれでいいですか? でも夜ですしねー」
本気で考えている様子の彼女の後ろ姿をじっと見つめ、マリアンヌはロドリグの顔を思い浮かべる。昼ごろ来た彼は身だしなみがぼろぼろだった。最低限は保っていたが、いつもの彼らしくない。それだけで彼が寝坊したことくらいはすぐに分かる。
だがあの時は理由なんてまるで考えなかった。ただ遅れてきたことが許せなくて、どうしてとかそんなこと考えられないくらい苛ついた。
(急患――――は、多いよね、この時期だし)
マリアンヌだって看護師だ。いつの時期に怪我人搬送が多いなどはさすがに覚えている。そしてロドリグが優秀であちらこちらで借り出されることだってとっくに知っている。何より、彼が多くの人に好かれているということは分かっている。だから皆この休暇を許してくれたのだ。自分より、誰より働いているのにめったに自分に褒美を与えない彼が少しでも休めればと考えて。
……なのに逆上して殴ったのはさすがにやりすぎた。
マリアンヌはベッドを降りると後ろからミリーに抱きついてその手元を覗きこむ。
「……それ可愛くない。ボツ」
ようやく行く気を表したマリアンヌにミリーは微笑んだようだった。
* * *
夜の帳の下りた世界で飾り付けられた大きなツリーはきらびやかに輝く。その根元にあるベンチに座りロドリグは冷たく澄んだ空気のためかいつもよりはっきり見える星を見上げていた。
こんなにゆっくり星を見上げるのはいつ以来だろう。少なくとも季節がいつの間にか冬に移り変わっていたことをこうしてゆっくりと自覚するよりは前だ。吐き出した息が白くなることをロドリグは今日改めて自覚した。
「エリオットさん間抜け面してるよ」
手袋に包まれた手で両頬を挟まれ顔を下向けられる。目に入ったのは本日はじめて見るマリアンヌの姿だ。ロドリグは彼女が来てくれたことにほっとして表情を緩めた。
「来てくれてよかったです。その、今日は本当にすみませんでした」
立ち上がり改めて謝罪を口にする。マリアンヌは答えずにじっと見上げてきた。まだ不機嫌そうな様子を見せる彼女のその眼差しを、ロドリグは真正面から受け止める。ややあって、マリアンヌはため息にも似た息を吐き出した。その時の彼女が呆れたような笑顔を浮かべていて、ロドリグは少し驚く。
「あーあ。そんな顔されたら怒れないじゃん。エリオットさんのひきょーものー」
「えっ、あ、その、す、すみません……」
「もういいよ。昼ひっぱたいちゃったし。あたしこそごめんね?」
そう言ってマリアンヌはいつものような快活な笑みを浮かべた。ミリー……とミリアルドの説得のおかげかもう随分機嫌はいいらしい。ロドリグは心の中で友人に礼を述べながら思い出したようにベンチに置きっぱなしだったものを手に取る。
「マリアンヌ、これ、お詫びと言ってはなんですが」
両手でそれを差し出すと、マリアンヌは目をぱちくりさせてそれを受け取る。自然と両手で受け取り胸に抱いたそれは特有の匂いを発していた。
差し出されたのはほんのり赤く色づいた大きな花弁の花の束。時期に合ったロマンティックな贈り物ではあるがロドリグがマリアンヌに贈るにしては珍しい代物だ。いつも彼は食べ物ばかりを贈っていたのに。
マリアンヌの疑問が分かったのかロドリグは目を細めて花束に埋もれていたカードを開いた。そこに書かれていたのはマリアンヌの名前――――が、2つ。
「その花の名前、『マリアンヌ』って言うんですよ」
「え」
マリアンヌと、同じ名の花。そんなのははじめて聞いた。あからさまに顔に出しているマリアンヌにロドリグは花屋の店員に聞いた説明をそのまま口にする。
「アネモネ種の花で、大輪を咲かせるのが特徴です。まだ出たばかりなのであまり名前は知られていませんが圧倒的な存在感で最近人気になってきているそうですよ。本当は1月の花なんですけど早咲きで店頭に並んでいたので、買っちゃいました」
いつもどおりに彼女の好きな菓子の詰め合わせでも買おうと思っていた。けれど偶然花屋の店先で人に囲まれたこの花を、この花の名を見かけた時にこれを贈るべきだとそう思ってしまったのだ。
気に入ってくれるか分からない。もしかしたら自分のロマンチシズムを満たすだけの結果になるかもしれない。けれどこれを見かけたその瞬間から彼女に贈りたいと思ったのは事実だ。ならばその直感を信じるしか今のロドリグに出来ることはない。
「――――あなたにぴったりだと思いました。大輪も、赤い色も、圧倒的な存在感も、自然と人を惹きつける感じが特に」
気が付けば、彼女の周りにはいつも人がいる。ミリアルド、リーナ。ルイスもそうだし、なんだかんだでレオンも仲がいい。同僚や後輩、学生達の中にも彼女を慕う者は多くいる。あの明るい笑顔と人懐っこい性格が人との壁を取り払うためだろう。ロドリグだってその内の1人だ。
いつだって彼女はとても自然に人の中心にいる。
いつだって彼女はとても自然に笑顔の中心にいる。
だからきっと、花屋でたくさんの人が手にとっていたこの花を見て名前以上に彼女を思い出した。
だからきっと、気障 な贈り物だと分かっていてもこれを選ばずに入られなかった。
見つめた先でマリアンヌは花束を見つめ抱き締めている。最初驚きを浮かべていた表情は徐々に緩み、今ではあふれ出る笑みを抑えきれない様子だ。
「えー? えへへへー。あたしそう? こんな感じ? スター性出しちゃってる?」
くるくると上機嫌でモデルを意識して回りだすマリアンヌの表情はしまりのないにやけ顔と化している。スター性、には程遠いその表情だが、見ていて楽しくなるのは事実なので訂正はしない。
「あ、ねぇエリオットさん。今日の埋め合わせもう一個言っていい?」
ぴたりと止まると期待を込めた眼差しを向けられた。この眼差しには覚えがある。これは、絶対に断ってはいけない種類のお願いだ。
「はい。構いませんよ。何ですか?」
以前のチェリー事件を思い出すと顔が引きつるが多少は我慢しなくてはいけないだろう。「お詫びお詫び」と何度も頭の中で繰り返すことでロドリグは逃げ出したい気分を必死でごまかした。
だが、実際にマリアンヌが出した条件は想像とは随分方向の違う「お願い」だった。
「皆でクリスマスパーティーしましょ!」
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