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◇後編2

 

 第二都市某ホテル内にて、トマスは鏡の前で首元にリボンを結んでいる。いつもよりずっとお洒落な格好の自分が鏡に映ると思わず顔がにやけてしまう。小さい頃や下男時代にはこんな格好が出来るなんて思いもしなかった。まして、こんな高いホテルに個室で泊まれるなんて夢のようだ。


 これというのも全て、エリザベスに拾ってもらえたからだ。トマスは完成した自分を確認し終わると、別の部屋で仕事をしている恩人の元に向かう。


「姐さん、もう5時30分ですよ。ここから10分で集合場所着くって言ってもそろそろ切り上げないと間に合いませんよ? せっかくマリアンヌさんが誘ってくれたのに」


 ノックをして隣の部屋のドアを開ける。声をかけると机の上で何か書いていた藤色の髪と青い目をした女性――――元巡洋艦ミネルヴァ艦長エリザベス・ナディカは顔を上げて秘書である少年を視界に入れる。しっかりめかしこんでいる彼を見てエリザベスは改めて時計に目をやった。


「ああもうこんな時間か。6時に中央ツリーに集合だったな。そろそろ準備をするか」


 ペンを置いて立ち上がるエリザベスの顔――というより肌はひどく荒れている。それが 聖なる前夜(クリスマスイヴ) を迎えた女性の状態かと言いたくなったが、トマスは敢えてそれを飲み込んだ。わざわざ言わなくても自覚しているだろうし、そもそもそんなことを気にするような人ではない。


「この間マリアンヌさんが送ってくれたドレスでいいんですよね? 出して来るッス――じゃない、出してきます」


「――――ああ、頼む」


 秘書らしからぬ言葉遣いを注意しようかと瞬時迷うが自分で気付いて直したのでエリザベスは特別注意を口にせず、代わりに素直に気遣いを受け入れた。


 トマスがクローゼットのある別室に姿を消すと、立ち上がったエリザベスは大きく体を伸ばす。随分長い間仕事をしていたせいか体はすっかり固まってしまっていた。


 シャワーを浴びている時間はないが顔ぐらいは洗っていこうか。洗面所に足を向けると、見計らったように部屋のドアがノックされる。入室を許可するとホテルの従業員の女性が顔を出した。


「ナディカ様、フロントでご用事があると仰っているお客様がお越しです」


「客? 誰だ?」


「お名前を窺ったのですが、これを見せれば分かると――――」


 差し出されたのは封筒だった。中に紙が入っているらしい。エリザベスは手早くそれを切って中身を取り出す。入っていたのは1枚のメッセージカード。中身を読んでその表情は一気に険しくなった。


「――――すぐに行く。ノーランド」


 呼びかけるとトマスはすぐに顔を出す。


「何ですか?」





 手にされているのはハンガーにかかったマリアンヌ手製のドレス。「絶対これ着て来てね」と何度も念を押されたものだ。もしかしたら着れずに終わるかもしれないと思うと皮肉な笑みが浮かんでしまう。


「私は少し用事が出来たから先に行け。全員揃ったら先にマリアンヌの家に行ってはじめてても構わんと言っておけ。マリアンヌの家なら自分で行ける」


「え、そんな姐さん。だったら俺も残りますよ。皆さんには連絡入れておけば……」


 いいじゃないですか、と続くはずだった言葉をトマスはすぐに飲み込んだ。こちらを見るエリザベスの目が彼女の言葉に逆らうことを許さないと告げているから。あの目をしている時の彼女に無駄な詮索はしてはいけない。トマスはただ黙って彼女の言う通りにすればいいのだ。


「――――分かりました。じゃあ、俺もう出ますね。向こうで待ってますから、気をつけてくださいね」


 ベッドの上にドレスを置いて頭を下げるとトマスはエリザベスと従業員の女性の横を通り過ぎて部屋を出て行った。それを目の端で見送り、エリザベスは女性の案内に従って部屋を出る。








 午後6時。冬の世界はすでに真っ暗なベールに包まれている。その中輝かしい光を放つツリーの前で思い思いの品を持つパーティ参加者達は、何故か大量の菓子パンを買って持ってきたトマスの報告にそれぞれの表情をした。


「えぇー、リズさん来ないのー?」


 不満を隠さないマリアンヌの言葉をトマスは慌てて否定する。


「いや、来ますよ。ただすぐには来れないから皆さん揃ったら先に行ってはじめてていいってだけで。ちょっと出かけに仕事が入っちゃって」


 正しく仕事なのかはトマスにも分からない。だがここでわざわざ馬鹿正直にそう言ってしまうこともないだろう。言っても彼女たちを不安にさせるだけだとトマスはちゃんと分かっている。


「お仕事なら仕方ないですよマリアンヌさん。大丈夫。絶対来てくださいますよ」


 赤を基調にしたマリアンヌ手製のコートを身に付けているリーナが頬を膨らませるマリアンヌを慰める。トマスに会ったことはあってもエリザベスに会ったことのないリーナとしてはぜひ来てもらいたいのでその希望も若干混ざっていた。兄は苦手らしいが他の面々は彼女を語る時必ず笑顔なので、会うのをとても楽しみにしている。


「――――さて、約束の6時になっちゃいましたけど……どうします?」


 時計に目をやったロドリグは一同を見渡した。


「もう行こうぜ。あの女中佐だってそう言ってたんだろ?」


 とはレオン。


「そうだねー、ここで待っているって言うのは彼女嫌がるだろうなー」


 とはロベッタ・キャロル。


「同感です。自分の都合に他の方を巻き込んでしまうのは嫌なものです。ナディカさんは特にその傾向が顕著だと思います」


 とはジュリア・ラザフォード。


 3名の意見ももっともだと思うのかマリアンヌは唸りだす。ちらりと目をやったリーナも控えめに頷いている。トマスは元よりエリザベスに「先に行け」と言い付かってやってきたのだから聞くまでもない。エリオットも困ったように笑っているがそれは恐らくレオンたちと同意見だからだろう。


 少しの間悩んでから、マリアンヌはじっと黙り込んでいるルイスに声をかけた。


「ヴォネガさんはどう? もう行くべきだと思う?」


 顔を覗き込まれ、ワインを入れた紙袋を抱えていたルイスは小さく微笑む。





「――――そうですね。艦長はそれは嫌がると思います」


 あの頃と変わらないあの人なら、きっと。


 ルイスも同意したのを見て、マリアンヌは観念して出発を促した。
 










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